大変お世話になりました。

 

「社長」

以前、書いたことが

いくつか出てくるかもしれません。

 

「社長」は

「エキストラ事務所」の「社長」です。

みんなから「社長」と呼ばれていました。

「社長」は事務所に入る前は

サラリーマンをしていました。

札幌の方へも何度か出張に行ったことがある

と聞いたことがあります。

「社長」のお父様と「社長」のお兄さんが

「エキストラ事務所」をしていました。

お父様が亡くなってお兄さんはいましたが

後を継いだのは、サラリーマンをしていた

「社長」でした。

お金の管理は「社長」の方が良い

と言うこともあったので・・・と

当時いた、ご年配の方々に聞きました。

 

私は、はじめエキストラ(その他大勢)として

入り、その後、事務所内で色々あって

電話での対応、現場責任者をやりながら

約10年いました。

とてもお世話になりました。

 

私は辞めた後もたまに、事務所に遊びに

行っていました。

しかし、その回数も段々減っていきます。

 

そんな時「社長」はなんとなく

身体に違和感を感じたそうです。

平成20年の2月くらいだったか...

病院へ検査に行って

そして言われたそうです。

「小さなものがある」と

それが何なのか

「調べてみないとわからない」と言われ

「結果がわかったら電話します」と

「言われた」と...

(確か言っていたと思います)

 

平成20年の頃

事務所は「社長」と男性が1人と

2人でやっていました。

一時は危なかった事務所も

少しずつ持ち直していたようです。

その為か、忙しくて中々病院へは行けません

病院からも何もありません

やっと時間が出来て病院へ行った時に

その「小さなもの」が

 

「人間の拳くらい」になっていました

 

「肺がん」でした

 

「社長」サラリーマンの時は

煙草を吸っていたそうです

でも、事務所に入った時は

既に、煙草は止めていました。

 

2月頃、検査をして

時間が出来て病院へ行ったのは

5月か6月だったのではないかと思います。

 

私が「社長」から病気の話を聞いたのは

その後7月くらいだと...

 

私はその日

私が辞めた後に事務所を

手伝っていた女性(その時は辞めています)と

事務所へ遊びに行った帰りに

夕飯を食べた後、その話しを聞きました。

ただ私は

そんなに深く考えていませんでした。

「社長」元気でした。

話しをしている時もごく普通に

いつもと変わらずに話していたからだと

今、書きながら思います。

その後

ひとりで事務所に遊びに行った時

「社長」は机や椅子を端に寄せ

布団を敷いて寝ていました。

もちろん、当時一緒に仕事をしていた男性も

いました。

 

「社長」の自宅は、歩きを入れて

電車で約1時間は掛かっていたと思います。

家に帰るよりは、事務所にいた方が

楽だったのかもしれません。

その後、隣の駅近くにある

「ウイークリーマンション」の部屋を借りて

数日後、入院しました。(11月?)

入院先は検査へ行った時の病院です。

そして、それから数日してから

ある病院へ転院します。(11月末?)

その病院の場所がなんと

私の仕事先の隣の駅でした。

私は17時30分に仕事が終わると

ほぼ毎日のように

「社長」に会いに行きました。

 

「社長」が亡くなる二週間前に

「もう、御家族だけにしよう。」と思い

一週間は病院へ行きませんでした。

 

その一週間後の日曜日に私は

私の後に事務所の手伝いをしていた女性

もう既に、違う仕事をしている女性を連れて

「社長」に会いに行きました。

私を見て

「わぁ~来てくれたの!」とすごく

喜んでくれて

一緒に行ったその女性を見て

また喜んだ「社長」

「仕事がこれからだってゆうのに悔しい」

と私たちの前で初めて涙を流した「社長」

そして「とうとう嫁に行かなかったな。」

と3人で笑い合いました。

泣いた後の笑いでした。

 

10年以上経った今でも忘れません。

 

 

その一週間後

社長は亡くなりました

平成20年12月20日 71歳でした。

 

2月に「小さい物」があると言われ

12月に亡くなりました。

 

「社長」が亡くなった後

奥様から

「12月に入った時に余命宣告をされてい

た。」と聞きました。

なんでもひとりでやって

知らないと気がすまなかった「社長」です。

 

 

 

私がひとりで事務所へ遊びに行った時は

もう「抗がん剤」を服用していました。

すごく辛そうでした

私はその時に

抗がん剤は人によって合う合わないがあ

る」と「社長」から聞きました。

 

 

姉(2番目)のことで知る

「ガン」の薬が高額なこと

それは

「ガン」だけではないかもしれません。

「社長」大変だったと思います。

 

薬と命

 

 

 

「社長」が元気な頃、遊びに行くと

「忙しいんだから無理して来なくていいんだ

よ」と必ず言っていました。

亡くなった後、気がつきました。

それは

「遊びに来れる時は遊びに来ていいよ」の

裏返しだったと...寂しかったと思います。

行かない時は全然行かなかった

もっと行けば良かったと、後悔しています。

 

 

そして

「社長」はよく言っていました。

「離婚してもいいから一度は嫁に行け!」と

それもどうかと思います・・・(笑)

 

「社長」に言いたいです。

 

「社長!結婚する時は一緒にお墓参りに

    行こうと思っていました!

    が

    残念ながらもう嫁には行きません!!!

    行けたら奇跡です!!!」と✌️🤣🤣 🤣

 

「社長」今はきっと違う世界で

元気に

違う人生か

同じ人生を歩いていると思います。

 

 

ありがとうございました。