「父の日」父が残したもの

 

父で思い出すこと

いちばん印象的なのは

白いご飯🍚に牛乳をかけて食べていたこと

今思い出すと「😨😱」です(🤣笑)

魚をさばくことも好きで、上手でした。

鯵のたたき、タコ、イカなど

包丁が切れなくなると砥石で研いでいました

カレイの唐揚げ、天ぷら、金平ごぼう(辛め)

シャケの頭(かま)を酢漬けにしたり

筋子、いくら、数の子を醤油漬け

ニンニクの醤油漬けが冷蔵庫にありました。

 

ほうれん草、青菜?の葉をすり鉢で擦って

アサ布?で絞って青汁にして飲んだり

生牡蠣を買ってきて、お酢につけて食べたり

それは私も好きです。

いまは高いですが

その頃は全てが安かった。

 

その後、父は「通風」になります。

母が入院している病院の外科へ入院

「通風」は足の親指かくるぶしに

何度かできていました。

「贅沢病」です。

魚の頭(かま)は好きで

特にシャケの頭(かま)は

ずっと冷蔵庫に入っていました。

🧄ニンニクの醤油漬けも😂

 

そして、私が中学生の時

入院していた母のことで

母の主治医の先生と話をしていて

帰ろうとした時、先生の目の前で

心筋梗塞?今で言う、心不全」になり

そのまま入院。

両親共に、内科病棟。

母は元々7人部屋、父は個室へ

まもなく父は

手術をすることもなく退院しました。

 

母が、昭和54年7月10日に亡くなった

数年後に父は

「腎不全」が先だったかな?になって

「透析」を始め

脳梗塞」で2回倒れました。

左半身麻痺になって

呂律も回らくなりました。

でも

自分で努力をして、呂律が回らないことも

歩行も克服しました。

その頃は努力家だった。と思います。

 

ただ2度も

 

1度目よりも重くて…

それでも、話すこと言葉も段々と

はっきりしてきました。

歩くには杖を、手離せなくなりました。

実は

その前に父は「電動車椅子が欲しい。」と

言っていました。

が、

私達は「歩けなくなるから!」と

反対しました。

それは今でも、良かったと思っています。

 

そして父は「パーキンソン病」になって

平成4年に「心臓病」で亡くなりました。

 

直前まで、長女と2番目の姉と話ていて

二人が帰ってきたと思ったら

容体が急変したと、病院から連絡があり

姉二人がまた病院へ行きました。

 

私はよく病院へは行っていましたが

二人に会うのは久しぶりで

最後に会えて良かったと思います。

 

父は「自由業」で最後は「占い」と

先日の日記に書きましたが

「人生相談」もしていました。

ある方の「お父様」(亡くなっていますが)と

お話をされたこともあるようです。

 

 

当時、よく父の所へ来ていた人が

言っていたことがあります。

「いろんな人の人生の相談をしていたから

    病気になったんじゃないか」と

 

通風、腎不全は別としても

心臓病、脳梗塞2回、パーキンソン病

 

以前

木彫りの仙人様と、観音さまの写真を

載せましたが

同じ仏壇には他にも、別の観音様と仙人様、

子供を抱えたお地蔵様がいらっしゃいます。

 

むかし、父が電話で

言っていたことがあります。

相手が誰かは分かりませんが

「死にたくても死ねないんだよ。」と…

 

その時、私はそのまま聞き流して

父も電話を切った後は

何もなかったかのようでした

 

今でも耳に残っています。

 

父が残したものは大きいのかな

と思う

今日の「父の日」です。

 

(o^-^o)