忘れたくない場所と風景

 

誰にでも忘れられない場所や風景がある

 

何年か経ってその場所に行ってみると

変わっていたり 変わっていなかったりする

でも どちらかというと 

変わっていることが多いと思う

変わってほしくないと思っても

人間によって 変わっていたり

自然によって 変わっている

 

風景 場所

 

誰にでもある 忘れられない場所や風景

忘れたくない場所と風景

誰にでもある場所

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20年以上前に何度も降りた駅

『JR目黒駅』

いつも同じ改札を出て右へ行き

階段を降りて左へ歩いて行きました。

行く場所はいつも同じです。

 

2017年9月16日(土)に同じ改札口

東口に立ちました。

東口駅前

お店が入れ替わったり、

建物が綺麗になったりしていると、思います。

でも、東口駅前の街並みは、

殆ど変わっていないような気がします。

道幅も変わっていませんでした。

20年以上前に歩いた道を歩いてみました。

 

そしたら、

20年以上前にもあって

いつも目にしていたものが、

今でもありました!

 

それは、

あるショップ(docomo)と、横断歩道です。

ショップの前には

ふたつの横断歩道があります。


そのふたつの横断歩道のどちらかを渡り、

ショップのすぐ横の路地に入って行くか、

そのまま坂を降りて行くか…

どちらへ行くかは、時間を見ながら行きました。

 

もしかしたら、他にも当時と

変わっていない所があるかもしれません。

でも、その横断歩道とショップは

いつも、通る度に、見ていたものです。

 

なんだか、嬉しくなりました。

 

誰にでもある。

その時、通っていた、

歩いていた、場所や道誰にでもあります

その時の忘れられない場所や風景

 

 

 

そして・・・

いつも階段を降りて左ばかりで

右側に何の建物やビル、お店があったかは

覚えていません。


西口の改札を出たこともありません。

一度くらいはあるかもしれませんが...

出たことはないに、等しいです。


20年以上経った今

西口側、東口の右側を

初めて歩きました・・・    

書く・・・

文章を書くのは、簡単だけど難しい

書いていると途中で、いろんな想いが浮かぶ

あっちへ行ったり、こっちへ行ったりと

寄り道をしてしまい、

違う方向へ行ってしまう。

そして

文字も、書かないと書けなくなってしまう。

私は、もともと字が汚い。

むかし「字が踊ってるね」と

言われた事がある。

 

今年、4月の初めに右手首を骨折し

2ヶ月近く、字を書かなかった。

そうすると、書き始めた時

汚い字が、ますます汚かった。

5ヶ月経った今でもまだ、書けない時がある。

落ち着いて書けばいいのだけれど

どうしても慌ててしまう。

 

文字は書かないと、

本当に、書けなくなってしまう。

「書かないと」と、思うのだが、

面倒くさがって書かないでいると

書けなくなってしまう。

「書かなければ」と、思うのだが…の繰り返し

 

今日この頃

今日の いまである。 

周りに惑わされる

人は 周りの意見に左右される

情報に左右される

真実を知る方法がないと

尚更 左右され 信じる

 

間違っているのでは と

思いながらも 何度も言われると

そう思ってしまう

みんなが 周りが そう思っているなら

そうなんだと 思ってしまう

いつの間にか

それを 真実だと 信じてしまう

 

真実を知ることが出来れば

調べることが出来ればいいのだけれど

 

そして

それが 嘘だ とわかった時

人はどうするのでしょう

 

 

人を本当に 信じることは

実は とても難しくて 深いと思う

信じられないと思うより

信じたいと思う

そして

その意味をわかっているのか

いないのか

クリスマスとお正月

子供の頃のクリスマス

今でも覚えている

狭い部屋を飾り付けで一杯にした。

 

御馳走もたくさんあった。

そして、クリスマスケーキ

私の子供の頃は、バターケーキが多かった。

バターケーキかアイスクリームケーキ

今でもその時のバターケーキの味を思い出す 

決して、美味しいとは言えない。

でも、それが普通だった。

 

お正月

上野のアメヤ横丁や築地へ買い出しに行った。

おせち料理も作り、重箱に詰めてあった。

全て母が作ってくれた。

 

そして、今、思う。

母は当時、どうやって

遣り繰りしていたのだろう。と…

でも

今は、それを知ることは出来ない。

聞くことも出来ない。

 

今、思うのは

今なら、

いろんなことを、話を、聞きたいと思う。

大人になり、

母が亡くなった歳を越えた今・・・

はかれない・・

誰かを 想う気持ちを はかることは出来ない

重さも長さも はかれはい

誰かを 想う気持ちは みんな同じだと思う

 

でも

誰でも自分のことを長く想ってくれた人には

何かしたいと思う

それは仕方がない

それは自然なこと

 

でも

それを依怙贔屓(えこひいき)と

言われてしまう 

自分はそんなつもりはないのに

そう思われてしまう

 

でも

人が思うことだから仕方がない

それが 自然なこと

 

誰かを想うこと 好きでいることには

変わらない

その気持ちはみんな同じだと思う

 

 

※依怙贔屓(えこひいき) 

難しい…書くとなると書けない…(((^_^;)

思い出した…

ふと思い出したことがある

昔、東京ディズニーランドへ行って

パレードを見ていた。

パレードは、もちろん楽しい♪

 

でも、もっと私がおもいしろい! 

と思ったのは

そのパレードを見ている子供が 

おもしろい! 

一緒になって踊っている!!

 

その姿がなんとも言えない

 

見ている私はそれが、おもしろくて

おかしくて 楽しくて 笑顔になる

 

 

パレードもいいけど、

それを見ている子供や見ている人を

見ているのが     私は好きです。

 

 

人間観察が好きなのか それとも・・・

昔、ある人に言われた

「人間が好きなんじゃない?」と

 

人間が好きか と言われると・・・?