今日は行こう!と思っていた
地元の時計店へ
止まった腕時計⌚️に電池と
もうひとつの腕時計⌚️のベルトの交換に。
と
クリーニング店に預けてあった毛布を
取りにいきました。
と
後ひとつ
先月購入したお墓のお寺へ
その時は「最後のお墓参り」の帰りに
弟が運転する車
歩くと何分掛かるかわからないので
歩いて、お寺へ行って来ました。
道筋は簡単でした。
真っ正面に、お寺の看板が見えてきました。
その時
ふと思い出しました。
30年前20代後半
曰比谷にある劇場の売店で
アルバイトをしている時
一緒にいた誰かと
「真っ直ぐ行って突き当たりを右...」と
言ったら
近くにいた男性のクロークの人に
「突き当たりって言ったら駄目だよ。」
私ともう一人(女性)が「何故?」
クロークの男性
「突き当たりって言うと
人生に突き当たる。って言うことだから」
と
その男性は、どこかの劇団に所属しながら
アルバイトで
クロークの仕事をしている人でした。
演劇の世界ではそういうのかな?
と思いました。
そのことを
歩きながら
ふと、思い出しました。
それを聞いてからは
なるべく「突き当たり」と
言わないようになりました。
もしかしたら、「人生に突き当たる」とは
言わないのかもしれません。
その人が
そう思っただけなのかも、しれません。
でも、芝居や演劇の世界で
「突き当たり」と言うのは
「そのことに、芝居に突き当たってしまい
息詰まってしまう...」と言うことなのかな
と、その時思いました。
それは、今でも思っています。
今は、その世界に限らず。
道を説明する時「突き当たり」ではなく。
姉にお寺への道を説明する時は
「歩いていると正面にお寺の看板が
見えてくるから、そこを右に曲がって
左側にすぐ入り口があるから。
歩いて20分か30分かな...」と
今、そのクロークをしていた男性は
どうしているかな「広瀬さん」(^^)
今日の目的は達成出来たかな
蛍光灯も電球LED💡も買えたし
2番目の姉は足の裏の「タコ」が痛くて😖💥
お寺まで歩くのはキツイかも
19時38分.mayumi