「全てはそこからはじまっている。」

 

その家庭

それぞれにいろんな事情があります。

 

あれは何年前?2012年?だったかな...

「ある事」がありました。

 

それ以来

「クリスマス」「お正月」「会話」

なくなりました。

 

それまでは

クリスマスにはクリスマスケーキとお寿司

がありました。

暮れの年越し蕎麦やお正月のお雑煮は

3番目の姉が、作っていました。

元々我が家は、そんなに話す方ではないです。

私がひとりごとを言うくらい(^o^;)

それでも会話はありました。

なくなりました。

 

2013年の12月は確か、姉ふたりが順番に

「胃腸炎」になりました。

 

2014年の12月には私が「帯状疱疹」になり

その年は、クリスマス、

2015年明けてのお正月どころでは

ありませんでした。

まさか自分が「帯状疱疹」になるなんて

思ってもいません。

はじめは何かに、被れたと思いました。

腰が日本地図のように赤く被れたようになり

腰から右足後ろ、太ももからふくらはぎに

かけて赤い、赤黒いぶつぶつが出来て

痛がゆくて...

左足は、そこまでにはならなかった

それでも所々に出来て、足首にも...

そして気が付いたら、おでこにまで

髪の生え際に一ヶ所出来ていました。

 

足は、髪の毛一本触れても、

風があたっても、痛い

 

仕事は、休めない

痛くて、歩くのはかなり遅かった🐢🐌💨💨

 

治るのに半年以上

 

それから7年

今、後は残っていない

たた、腰は触るとまだ違和感、感触があって

たまに、一瞬!

太ももの後ろは、電気が走るような

蜂にさされた(経験あり)ような感じが

あります。

 

確か「中森明菜さん」も「帯状疱疹」で

長い間、闘病生活をされていたと思います。

本当に辛かったと思う

目の上に出来る人もいる…

 

原因はストレスと言われています。

 

 

話を戻して

一昨年あたりから

多少、会話も増えてきたかな?と

そして

去年の2番目の姉の病気からは増えたと

思いました。

しかし・・・

 

今年3月

3番目の姉が派遣が終了し待機中

次の仕事がくるまで居ます。

 

「コロナ」になる前は仕事が終わっても

帰りが遅かったり、休みの日は

夕方から出掛けていました。

それが「コロナ」で出掛けられず?出掛け

毎日居ます。

 

それもあって

2番目の姉のストレスが

貯まっています。

3番目の姉も同じ

 

お互いに貯まっている。

 

会話ありません。

 

 

昔CMであった

「亭主元気で留守がいい」

正にその通りです。