「3月12日」

長いです。

 

平成23年3月12日

「ネコ」と言う名前の猫が

歴代の猫たちのいる所へ旅立ちました。

20歳でした。

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当時はまだ、携帯もガラケー

写真はあまり

撮っていませんでした。

引っ越し前には「使い捨てカメラばかちょん」で

よく撮っていました。

 

3月11日「東日本大震災

地震が起きた時、姉2人と私は仕事先にいました。

マンションには「ネコ」と

もう一匹「ミュー」と言う名前の猫がいました。

(平成24年12月29日18歳で旅立ち)

「ミュー」は殆ど、耳が聞こえていませんでした。

「ネコ」は元気でした。

 

地震があった時、本当に怖かったと思います。

物置きとなっている部屋の中の物は崩れ

仏壇の中にあった仏像が倒れ(その後は仏壇の下に)

その反動で御位牌も倒れ

上げてあった水も溢れて

仏壇の下は水浸し

 

テレビは

倒れはしなかったけど、横に積んであった

姉のDVDが入っていたケースが落ちて

それが、繋げてあったテレビのアンテナの

コンセントにあたって破損し

テレビが映らなくなっていたり

(テレビが、映らない事に気がついたのは

片付けに追われて、時間がだいぶ経ってからでした)

 

一番初めに帰ったのは3番目の姉、次に2番目の姉

そして、私でした。

私は、電車が動くまでは帰れず

たどり着いたのは、夜の8時くらいだったと思います

ドアを開けて

出迎えてくれたのが「ネコ」でした。

鳴いていました。

ずぅ〜〜〜〜とっ!鳴いていたようです。

「たいへんだったんだよ!

「怖かったんだよ!

「すごい音だったんだよ!

と、言っているようでした。

 

普段「ネコ」はたまに鳴くくらい

よく鳴いていたのは

その時はもう、行っていませんでしたが

病院に連れて行く時

ケースに入れたと思ったら鳴き始ます。お漏らしも

病院に着くまで鳴いています。

帰りも、帰ってきてからも、餌を食べながらも

ずっとずっと鳴いていました。文句のように😂

「ネコ」に

「ネコォ〜そんなに鳴いていると疲れちゃうよ」

と私は言っていました。

 

震災の日はずっと鳴き続けていました。

余震も何度かあったと思います。

私は「ネコ」を抱き上げ、左側の肩に乗せました。

「ネコ」は、肩に乗るのが好きでした。

カギ尻尾は長く、カラダも大きめ

体重は4㌕か5㌕で、ちょっと重かったです💦

 

何故カギ尻尾か

「ネコ」は、元々は弟宅にいました。

マンションの7階?だったかな

その窓から落ちて、壁にしがみついたけど、

そのまま落ちてしまい

尻尾の先が曲がって

カギのようになってしまいました。

当時、壁には「ネコ」がつけた

爪跡が残っていたそうです(笑)

「ネコ」と言う名前も娘たちが名付け親です。

 

震災の次の日の夜

私の後ろで、ネコがお気に入りの私の毛布

(写真の緑の毛布)の上で毛づくろいをしていました

そしたら

3番目の姉がいきなり「ネコ!ネコ!!どうした!」

と叫びだしました。

そして振り返った時には

 

姉「なんか急に苦しみだして…」と

すぐに、都内にいる弟に電話をして

来てもらいました。

 

弟は

「たぶん、心臓発作だと思う。人間とおなじで

動物にもある。余震からくる疲れ

余震のストレスからくる心臓発作」だと

 

普段からたまに溜息をつく「ネコ」

11日に

左の肩に乗せた時

今まで聞いたことがない溜息を

「ネコ」はつきました。

「ネコ」のカラダから、それは伝わってきました

 

震災から12年

ネコが逝ってから12年

今でもその時の溜息を思い出します。

ネコのカラダから伝わってきた溜息

 

 

たまに思います。

あの日もし、ネコと一緒にいたら

ネコたちのこと

守ってあげられたのかなって

ネコたちの耳を塞いで

聞こえないように

してあげられたのかなって

たまに思います。

 

長くなりました。

読んでいただいてありがとうございました。

 

飼いたいけどやはり

誰もいないと2番目の姉はいるけど

でも心配で

飼えません🥹

 

18時38分.mayumi